あっという間にドイツに来て6日、ベルリンにきて4日が経つ。
ミュンヘン国際空港に着いて、まずビックリしたのはめちゃめちゃ日差しが強いこと。かなり暑い。こっちきてから長袖着たことない。
外人がサングラスかけてるのをテレビとかで見てかっこつけてやがんぜ、とか斜に構えてはいけない。あれは本当に必要なものだ。
僕もそのうち大門のようなサングラスをかけることになるかもしれない。
なんせ4月でこの太陽だ。夏なんて想像を絶するだろう。
ミュンヘンに2日間滞在して、23日にはベルリンについた。
ICEはそんなに速くなかった。
車窓から見える景色はのどかな田園風景から、窓ガラスが割れて屋根に穴が空いた荒んだ建物まで見ることができた。
かなり危ない感じの町並みもみることができて、ドキドキした。
かなり危ない感じの町並みもみることができて、ドキドキした。
実はベルリン着いたころは結構キツかった。
家も決まらないし、それどころかその日泊まる場所すら決まっていなかった。
1日15ユーロ程度でも、毎日場所を変えながらホステルで生活していれば結構な金額になるし、何より心が落ち着かない。ヘトヘト。
ベルリンきて2日目、この日もBerlin中央駅のマックへ移動して物件探ししていたら、mixiのコミュニティでお部屋情報を見つけた。
しかも時間をみると情報出たばっか。mixiにでる物件は競争率が高くて、これまでアポとったとこも既に入居者決まったりで全滅していたのだ。
高鳴る鼓動を抑えきれずマッハでメッセ。それでもおさまらずに書いてあった番号に公衆電話から電話をかける。
日本の話し中みたいな呼び出し音だ。本当にかかってるのか不安になる。
無事にコンタクトをとることができ、そのまますぐに物件の見学にいけることになった。
で、そのまま決定。
まさかまさかのベルリン着いてから24時間も経たずにして、住居が決まった。
最寄りはHackescher Marktという駅だ。
行って見るとペルガモン博物館が散歩コースという凄まじいベルリン中心地だった。
すぐ近くには坂本龍一邸もあるそうだ。
とにかく、そんなとこにこれから1年住むことになった。
すごい勢いで話が進んだ。
物件探しは、話を進めてたとこが軒並み他の人に入居が決まったりと難航を極めていた。財布のお金は減る一方。「いつまでホステル生活なのかな」と、ぶっちゃけるとベルリン着いたころにはお先真っ暗になっていたのだが、ものの数時間でパーッと明るく開けた。
家さえ決まれば、全部天国に見える不思議。
スーパーでパン30円とか日本だと1000円くらいする瓶詰めピクルスが100円切っていたりとか、食品の安さはもう猛烈。
家主は日本人の造形作家の方。
その方の紹介で一昨日25日はPray for Japanのチャリティイベントに行ってきた。
ベルリン在住の日本人アーティストの素晴らしいパフォーマンスをみることができた。
ベルリン来て早々、最前線突っ走ってるアーティストコミュ二ティに顔出すことができたのも、非常に幸運だったと思う。
たくさんの刺激を受けた。
あと、ベルリンに日本人ばっかりという環境がなんだか変な感じだった。
ようやく落ち着いてきたので、昨日は町に写真を撮りに行った。
バケツをひっくり返したような激しいスコールも4回ほどあった。
夏はこんな感じの天気になるらしい。ひえー。
それでもみんな傘をささない。
その後はBerlinZOOまでPray for Japanのチャリティへ。
バックほしいのと、日本人に会うつもりで行ったけど結局お手伝いして帰ってきた。
募金をしてくれたら折り鶴を、5ユーロの募金ではバックを贈る。
震災時は海外からも当然電話は通じなかったり、震災後も入ってくるメディアの情報も偏ったりしていたりで、海外居住の日本人には相当なストレスがかかっているのだろう。
小さい生意気そうな子どもたちのグループや、わざわざ車を降りて募金しにきてくれたティーン、中には10ユーロ紙幣を何枚も握りしめて募金してくれるおばちゃんもいた。
ベルリンの5ユーロは1時間の時給くらい。本当に価値がある金額なのに。
これから1年お世話になるこの町に、何か恩返しができたらと思う。
僕は無事です。元気にしてます。ごはんもOKです。まだ芋もソーセージも食べてないけど。
明日か明後日には入居かな。本当に運が良かった。
もしベルリンに来るときは、連絡ください。
これからが本番。
楽しみ、楽しみ。
ベルリンきて2日目、この日もBerlin中央駅のマックへ移動して物件探ししていたら、mixiのコミュニティでお部屋情報を見つけた。
しかも時間をみると情報出たばっか。mixiにでる物件は競争率が高くて、これまでアポとったとこも既に入居者決まったりで全滅していたのだ。
高鳴る鼓動を抑えきれずマッハでメッセ。それでもおさまらずに書いてあった番号に公衆電話から電話をかける。
日本の話し中みたいな呼び出し音だ。本当にかかってるのか不安になる。
無事にコンタクトをとることができ、そのまますぐに物件の見学にいけることになった。
で、そのまま決定。
まさかまさかのベルリン着いてから24時間も経たずにして、住居が決まった。
最寄りはHackescher Marktという駅だ。
行って見るとペルガモン博物館が散歩コースという凄まじいベルリン中心地だった。
すぐ近くには坂本龍一邸もあるそうだ。
とにかく、そんなとこにこれから1年住むことになった。
すごい勢いで話が進んだ。
物件探しは、話を進めてたとこが軒並み他の人に入居が決まったりと難航を極めていた。財布のお金は減る一方。「いつまでホステル生活なのかな」と、ぶっちゃけるとベルリン着いたころにはお先真っ暗になっていたのだが、ものの数時間でパーッと明るく開けた。
家さえ決まれば、全部天国に見える不思議。
スーパーでパン30円とか日本だと1000円くらいする瓶詰めピクルスが100円切っていたりとか、食品の安さはもう猛烈。
家主は日本人の造形作家の方。
その方の紹介で一昨日25日はPray for Japanのチャリティイベントに行ってきた。
ベルリン在住の日本人アーティストの素晴らしいパフォーマンスをみることができた。
ベルリン来て早々、最前線突っ走ってるアーティストコミュ二ティに顔出すことができたのも、非常に幸運だったと思う。
たくさんの刺激を受けた。
あと、ベルリンに日本人ばっかりという環境がなんだか変な感じだった。
ようやく落ち着いてきたので、昨日は町に写真を撮りに行った。
バケツをひっくり返したような激しいスコールも4回ほどあった。
夏はこんな感じの天気になるらしい。ひえー。
それでもみんな傘をささない。
その後はBerlinZOOまでPray for Japanのチャリティへ。
バックほしいのと、日本人に会うつもりで行ったけど結局お手伝いして帰ってきた。
募金をしてくれたら折り鶴を、5ユーロの募金ではバックを贈る。
震災時は海外からも当然電話は通じなかったり、震災後も入ってくるメディアの情報も偏ったりしていたりで、海外居住の日本人には相当なストレスがかかっているのだろう。
小さい生意気そうな子どもたちのグループや、わざわざ車を降りて募金しにきてくれたティーン、中には10ユーロ紙幣を何枚も握りしめて募金してくれるおばちゃんもいた。
ベルリンの5ユーロは1時間の時給くらい。本当に価値がある金額なのに。
これから1年お世話になるこの町に、何か恩返しができたらと思う。
僕は無事です。元気にしてます。ごはんもOKです。まだ芋もソーセージも食べてないけど。
明日か明後日には入居かな。本当に運が良かった。
もしベルリンに来るときは、連絡ください。
これからが本番。
楽しみ、楽しみ。
テス
返信削除>夜の字
返信削除ありがとう。まだ、多分携帯からはコメント無理だろうな。設定いじらんと
どれもいいショットだ!!
返信削除楽しんで!!
ベルリンに行きたくなった!
返信削除早くいけるように、やること頑張る!
そちらもどうか楽しんで!体気をつけてね。
1年かー長いけど短いよね、きっと。
返信削除いっぱい楽しんで!
地球の反対側でも日本のことを応援してくれる人がいて、日本は幸せな国ですね。
夏休み本気で行きたくなった..!
返信削除ドイツ人って背高いの?
スナフキン!!
返信削除一年間、いろんなことを見て、知って、感じて、怒って、笑って、泣いて、叫んで、楽しんできてくださいな!
そして来年、それを俺たちに伝えてくださいな!
俺やっぱ来年沖縄じゃなくて千葉にいるから!!(笑)
>いけ
返信削除この生活がしばらくのうちに日常になるのかと思うとまじでワクワクする
>べく
お金もって飛行機乗ればOK!英語めちゃ通じるけど、ドイツ語で案内出来るように勉学に励むよ
>こめ
ドモアリガト!
帰ったら、西千葉の状況も友人の状況も大きく変わってるんだろうなと思います。ベルリンの人たちは友好的。応援してくれていますよ。
>しまくみさん
10月近くにもなると、長くて暗くて激しい冬になるそうです。平均がマイナス、寒い日はマイナス20℃にもなるとか。
夏に是非ベルリンへ!
それが、ビックリしたことにドイツでも俺がかなり背が高い方です。本当にデカい2メートル越えみたいな人は一部で、町でもあんまり見ません。一部のまじでデカい人達が平均身長押し上げてるのかな、と思います。
>たまきくん
お、腹くくったのね!
ありがとう!
戻ったら、一緒にらーめん食べいこうね。絶対ね。
やるぞー!