2011年4月27日水曜日

あっという間にドイツに来て6日、ベルリンにきて4日が経つ。



ミュンヘン国際空港に着いて、まずビックリしたのはめちゃめちゃ日差しが強いこと。かなり暑い。こっちきてから長袖着たことない。
外人がサングラスかけてるのをテレビとかで見てかっこつけてやがんぜ、とか斜に構えてはいけない。あれは本当に必要なものだ。
僕もそのうち大門のようなサングラスをかけることになるかもしれない。
なんせ4月でこの太陽だ。夏なんて想像を絶するだろう。


チャリの止め方がダイナミックだ




ミュンヘンに2日間滞在して、23日にはベルリンについた。
ICEはそんなに速くなかった。
車窓から見える景色はのどかな田園風景から、窓ガラスが割れて屋根に穴が空いた荒んだ建物まで見ることができた。
かなり危ない感じの町並みもみることができて、ドキドキした。



実はベルリン着いたころは結構キツかった。
家も決まらないし、それどころかその日泊まる場所すら決まっていなかった。
1日15ユーロ程度でも、毎日場所を変えながらホステルで生活していれば結構な金額になるし、何より心が落ち着かない。ヘトヘト。


ベルリンきて2日目、この日もBerlin中央駅のマックへ移動して物件探ししていたら、mixiのコミュニティでお部屋情報を見つけた。
しかも時間をみると情報出たばっか。mixiにでる物件は競争率が高くて、これまでアポとったとこも既に入居者決まったりで全滅していたのだ。


高鳴る鼓動を抑えきれずマッハでメッセ。それでもおさまらずに書いてあった番号に公衆電話から電話をかける。
日本の話し中みたいな呼び出し音だ。本当にかかってるのか不安になる。

無事にコンタクトをとることができ、そのまますぐに物件の見学にいけることになった。
で、そのまま決定。

まさかまさかのベルリン着いてから24時間も経たずにして、住居が決まった。
最寄りはHackescher Marktという駅だ。
行って見るとペルガモン博物館が散歩コースという凄まじいベルリン中心地だった。
すぐ近くには坂本龍一邸もあるそうだ。

とにかく、そんなとこにこれから1年住むことになった。


すごい勢いで話が進んだ。
物件探しは、話を進めてたとこが軒並み他の人に入居が決まったりと難航を極めていた。財布のお金は減る一方。「いつまでホステル生活なのかな」と、ぶっちゃけるとベルリン着いたころにはお先真っ暗になっていたのだが、ものの数時間でパーッと明るく開けた。
家さえ決まれば、全部天国に見える不思議。
スーパーでパン30円とか日本だと1000円くらいする瓶詰めピクルスが100円切っていたりとか、食品の安さはもう猛烈。


家主は日本人の造形作家の方。
その方の紹介で一昨日25日はPray for Japanのチャリティイベントに行ってきた。
ベルリン在住の日本人アーティストの素晴らしいパフォーマンスをみることができた。
ベルリン来て早々、最前線突っ走ってるアーティストコミュ二ティに顔出すことができたのも、非常に幸運だったと思う。
たくさんの刺激を受けた。
あと、ベルリンに日本人ばっかりという環境がなんだか変な感じだった。


ようやく落ち着いてきたので、昨日は町に写真を撮りに行った。


バケツをひっくり返したような激しいスコールも4回ほどあった。
夏はこんな感じの天気になるらしい。ひえー。
それでもみんな傘をささない。

その後はBerlinZOOまでPray for Japanのチャリティへ。



バックほしいのと、日本人に会うつもりで行ったけど結局お手伝いして帰ってきた。
募金をしてくれたら折り鶴を、5ユーロの募金ではバックを贈る。
震災時は海外からも当然電話は通じなかったり、震災後も入ってくるメディアの情報も偏ったりしていたりで、海外居住の日本人には相当なストレスがかかっているのだろう。

小さい生意気そうな子どもたちのグループや、わざわざ車を降りて募金しにきてくれたティーン、中には10ユーロ紙幣を何枚も握りしめて募金してくれるおばちゃんもいた。
ベルリンの5ユーロは1時間の時給くらい。本当に価値がある金額なのに。



これから1年お世話になるこの町に、何か恩返しができたらと思う。



僕は無事です。元気にしてます。ごはんもOKです。まだ芋もソーセージも食べてないけど。
明日か明後日には入居かな。本当に運が良かった。
もしベルリンに来るときは、連絡ください。


これからが本番。
楽しみ、楽しみ。

2011年4月21日木曜日

出発進行

昨日は仮パッキングを終えてからルミ子の写真展に行った。
場所は千葉登戸のTreasureRiverBookCafe。
場所はちょっとわかりにくいけれど、広くて明るくて良いところだ。
5月20日までやっているので、興味をもった人は是非行ってみて。
ルミ子が撮った、ムーミンが出てきそうな北欧写真がたくさんあるから。





ここ4週間くらいは凄まじい忙しさだった。特に3週くらいはひどい。先週の木曜日からは色々なことが重なってしまって、もう殆ど寝ていない。
寝てない自慢がしたいわけでは全くなくて、ただ僕が言いたいのは「準備は後手にまわすな」ということ。これ、今更だけど本当よ。
書類の類、予約必要なもの、問い合わせはできる時にしとくのが鉄則。
不安が多いと疲れてしまうから。

出発直前は身辺整理に時間がとられる。
買い物の請求もどうなってるかな。
クレカ払いなので、いくら使ったかわからないけど、ここ数日で結構な額になっていると思う。


毎回出発の前はそうだけど、準備なんていくらやってもキリがないと感じる。
いくらやってもどうせキリがないのだから、と開き直っていつも大抵ほどほどにして出発する。
でも今回は勝手が違う。
なんせはじめての海外生活、しかもはじめての一人暮らしだ。


ギターの弦とかってドイツ(しかも住居は首都ベルリンに借りるつもり)で探すの大変なんじゃないかと思って御茶ノ水で買っておいたりした。新しいチューナーも一緒に。
でも結局ギターは向こうに持っていけないことになってしまったから、買い置きはまるで意味がなかった。

多分ベルリンに着いたらなんでもあるんじゃないかと思う。
でも、やっぱりないものもあるんじゃないかとも思ってパッキングに慎重になっている。
これから荷物の減らしにかかることにする。


先週の金曜日は1年生の頃からお世話になっている西千葉のバー「呼吸」が「セイヤをドイツに送り込む会」をやってくれた。
大学での友人は勿論、呼吸でお世話になっているみなさん、中学校の同級生なんかがきてくれて、なんとも楽しい夜だった。
Ustでラジオ中継したりしたが、僕の物真似のヒドさには自分でも辟易した。
物真似とか一発芸とか、めちゃめちゃ苦手。なんか一つでもできるようなネタがあったらいいな、と思った。

ラジオの終わりには、「セイヤとビールとソーセージ」という曲のプレゼントがあった。サプライズでオリジナルの曲を作ってくれていたのだ。
会の前にも集まって練習してくれたそうな。
タイトルの通りなんともキャッチーな曲で、良い感じだった。
「セイヤのそばには僕らがいるじゃないか」という歌詞の合唱には涙腺がかなり緩んだ。もう泣くんじゃないかと思った。

新吾から生まれてこのかたもらったことのないような大きな花束をもらったので、この日は歩いて帰宅した。


家帰って、twitterのタイムライン見て泣いた。

研究室でも、学科でも送別会を開いてくれた。
うれしくて、早くベルリン行って、早く帰ってきたくなった。
帰ってきたら、きっと色んなものが変わっているんだろう。


本当に周りに恵まれた。
誰も知り合いいないとこに行くけど、おかげでなんだか元気にやっていけそうな気がする。
100年越しの東郷ターンをガツンとキメてくるよ。

みんなアリガト。



いよいよ今日か。
半年前に休学を決め、ヨーロッパに行くことにしてからはあっという間だった。


では、行ってきます。
くれぐれも達者でな!